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金子史朗『世界の大災害』

大災害の事例から、その人災的側面を剔抉し、
伝承や古記録による歴史研究を軽視することの愚も説く
金子史朗『世界の大災害』(中公文庫,1988)を読み終えたのは昨年9月末^_^;
本書の全てを完全に理解できたわけではないが(偏に小生の能力不足のため)、
多くを学び、色々とインスパイアされた良書ゆえ、即ブログにノートし始めたところ、
古川武彦『気象庁物語』(中公新書,2015)なる愚書を10月に釣り上げてしまった(-"-)

  http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-10-07

そこで書いた通り、同書のデタラメぶりが次々と分り、「追記」の連続で疲れてしまい、
本書について纏める作業は中断(+_+) んで、愉しい本が続き、癒えたので、作業再開(^^)

先ずは、外国の地名等は頭に残りにくいので、各章タイトルを国名・地域名を補ってメモ^_^;

  モン・ペレーの噴火[西インド諸島仏領マルチニーク島]~天国と地獄 7~39頁

  カラカス地震[ヴェネズエラ]~近代文明の試練 40~64頁

  サンアンドレアス断層[カリフォルニア]~呪われた黄金郷 65~95頁

  リツヤ湾の巨浪[アラスカ]~目撃された史上最大の津波 96~131頁

  桜島大正噴火~灰砂からの逃亡 132~179頁

  アッサム地震~はげ山の一夜[インド] 180~204頁

  ヴァイヨン・ダムの悲劇~抑圧からの解放[イタリア] 205~227頁

  ネバド・デル・ルイス火山~泥海に呑まれたアルメロ町の悲劇[コロンビア] 228~272頁

  また三宅島が燃えた~一九八三年の割れ目噴火 273~311頁

ヴァイヨン・ダムの悲劇は「バイオントダムの崩壊」として、昨年9月27日に取り上げた
荒川秀俊『お天気日本史』(河出文庫,1988)の89~90頁でも紹介されていた(^^)

  http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-09-27

おそらく斯界での評価も受けてであろうと想像するが、本書は
三省堂新書(1974年)→ 三省堂選書(1978年)と何度も刊行されており、
この文庫化の際には、章の削除と追加、更には各章で改稿・修正も行なわれた由。
お蔭で、東大地震研の中村一明と、リツヤ湾の巨大津波の爪痕を積極果敢に調査・報告した
故ドン・ミラー博士の未亡人&娘との偶然の出会いを本書が齎し、その邂逅による「感動」を
中村が生前に著者へ手紙で伝えてきたという、いいエピソードまで紹介されていた(^^)
このように本書は、国内外の大災害事例を詳細かつ批判的に紹介・解説するとともに、
スポットライトの当たりにくい、知られざる調査・研究の先人の業績をも顕彰している
(その功績に対する母国での報われ方が「あまりにささやか」だと嘆いているほど^_^;)。
それらの事例・学者から今後の我が国への教訓を引き出して提言・注文・批判も行なってる(^^)
故に啓蒙的でありながら前衛的で、教わることが多いだけでなく、大変インスパイアされたし、
また時にはまるで詩のような名文だったりして、小生にとって古典的名著になったね(^^)
〝古典的〟とは、流石に我が国の災害対策も本書刊行時からは少しは改善しただろうし、
また災害研究も進んだだろうから、記述が古くなってるかもしれないため^_^;

では、以下、本書で小生が気になった件を取り上げ、後学のためにノートしていく(^^)

本書231頁の「健気で可愛らしい少女オマイラ・サンチェスちゃん(十二歳)」には涙した(;_;)

  オマイラちゃんは発見当初、高まる水かさと闘いながら、作業を続ける救援隊員たちに、
  「おじさんたちも少し休んで、それから助けてちょうだい」、と健気なことを言っていた
  という。しかし、首まで浸って泥中に三日、動けないでいた少女は、衰弱が激しくなって
  いった。数十人もの救急隊員たちも水につかりながら、歌の好きな少女のために、
  作業を続けながら一晩中歌い続けたという。

また素人考えではありえない事実・現象も紹介されていた(@_@;)

本書98頁

  しかし高波の原因は・・・直接地震が原因で生ずるもののほかに、地震を引き金とした
  崩壊や地すべりが原因のこともある。火山の噴火・陥没を引き金とすることも、世界では
  まれな現象ではない。位置によっては、津波は湾奥から湾口へと向かうこともありうる。

本書227頁

  ロンガローネの町では洪水は下流から押しよせ、住民は全滅した。
  水は低きにつくが、出水量が大きければ、逆流もあるのである。

素人料簡は危ないことが分かる話も(+_+)

本書17頁

  この日(七日)の午後、一六〇キロ南のセント・ヴィンセント島の火山スフリエール噴火
  の報が町に伝えられた。この凶報は、噴火におびえきっていた人びとになぜか安堵感を
  与えた。というのは、素人目にはスフリエールの噴火はモン・ペレー火山の圧力を解放し、
  それによってペレーの破局は防げるのではないか、と思われたからである。この運命の夜、
  ある程度の安心感を抱いて、人びとはめいめい家に引きあげたのである。

この素人判断に加え、選挙の投票日が10日だったので、党派対立から「・・・どうにでもとれる
政治的配慮のある発言や、新聞の論説、・・・」(本書26頁)が民衆を惑わし、町から脱出させず、
4万人いたサン・ピエールの町は8日のモン・ペレー噴火で壊滅し、難を逃れたのは僅か2人(@_@)
その1人は地下牢にいて助かった死刑囚で、正視できないほどの火傷を負ったが、罪は許された。
でも、余生は「サン・ピエールの囚人」としてサーカスの呼び物にされたというのは酷い(+_+)

この最初の章を読んできて、結論部分(本書39頁)で述べられていた災害観は重たかった(-"-)

  自然界には、ときとして、途方もない大事件というものが稀にあるものだ。・・・しかし、それは
  あくまで自然現象であって、それと係わる社会のありようによっては、たんなる変災が
  大災害の様相を帯びてくる。/そのような意味では、すべての災害は人災的側面を持つ、
  と言える。そこには政治状況や科学者や社会の経済的思惑が色濃く影を落している。
  行政の認識と行動力ないしは力量が問われるし、学問的コミュニティの働きや、
  マスメディアのレベル、姿勢も問われる。ことに報道の手ぬるさ、科学者との癒着の弊
  なきにしもあらずで、改めて真相解明の難しさも痛感されるのである。/
  「災害は忘れた頃にくる」という寺田寅彦の言葉は、よく引かれるが、寺田の真意は
  その言葉のあとに続くところにあるのではなかろうか。

この「すべての災害は人災的側面を持つ」点は再三強調されている。例えば、本書95頁では、

  来たるべき地震なる自然現象は、人間社会というスクリーンを通して、人災へと転化する。
  そのような社会では、単なる自然の寝返りも、ゆるがせにできぬ災害の様相を帯び、
  むくむくと巨大化することになるだろう。

また他の事例も人災だったことが指摘されている(+_+) 本書261~262頁では、

  ・・・とうとうルイス火山は噴火した。活動の最初の徴候が気づかれてから一年後である。
  噴火一ヵ月前には、ハザード・マップも公表されている。その図に示された通りの災害が
  目のあたりに起こってしまったのである。/国際的な火山学者個人やチームの助力があって
  緊急対応戦略が十分練られていたことは、ルイスに精通した米地質学者[ダレル・]ハード氏
  の記事からも伺えることである。警戒宣言は発令になっていたと言える。だが、惜しいこと
  には、泥流発生に際して最大の危険にさらされるであろうアルメロ町住民の緊急脱出は成功
  をみなかった。退去はなかったのだ。/最後的な住民避難の勧告が通じなかった。いや、
  無視されてしまったようである。肝心の緊急時対応の未熟による「人災」と糾弾されても仕方
  がない。/・・・せっかくアルメロ町に伝えられた避難勧告は、どうやら町の有力者らの誤解と
  先入観に満ちた判断と、独断的発言力に支えられ、〝没〟になってしまったらしいのである。

ただ、「たとえ人災だとしても」という節見出しで(本書268~269頁)、

  わたしはここで災害観を述べようとは思わない。もともと自然災害などというものは
  ありえない。災害は多かれ少なかれ人災的要素を持っている。だが、「災害は人災でしか
  ありえない」といえば、またついてゆけない。いま言えることは、アルメロ災害を
  広い視野の中でとらえ、考える必要を痛感している。

この「広い視野」云々は本書269~270頁の指摘につながるのだろう。

  つまり、アルメロ町は、そもそも雪融けの洪水や過去の泥流が、なんども通過して築いた
  土地なのである。宿命的な場所ではあるが、手の打ちようがないわけではない。洪水主流
  による直接的破壊を減殺する導水路、防壁などの護岸工作物の建築である。/堅固なダムを
  築いたとしても、たちまち土砂で満杯となるだろうから、あまり効果はあるまい。/
  せめて過去の災厄の伝承でも掘り起していれば、津波ではないが、万一の場合、
  高台に逃れて災害をかわすことはできただろう。

なお、「堅固なダム」とは、ハード・レポートにもある「土砂留めダム」が念頭にあり、これが
「結局、この町の命取り、少なくとも、これさえなければ、死者はずっと少なくて済んだこと
だろう。」(本書267頁)という著者独自の指摘もなされている。

この「広い視野の中でとらえ、考える必要」性から、「過去の災厄の伝承」に着目する理由は、
本書220~221頁から読み取れる。

  すべての災害には強い個性と、地域性ないしは風土性がある。しかし、同時に、共通した
  パターンを見い出すことができる。災害が起ると、わたしたちはそのあとでいろいろな
  問題点を指摘するのを習いとしている。しかし、それがなんらかの形で生かされなくては
  なんの意味もないし、犠牲者も浮ばれない。/ヴァイヨン・ダム災害についての指摘も、
  多くは地質ないしは土木工学など、おもに技術者側からの発言であった。・・・/・・・
  地すべりの危険は九月下旬には十分切迫していたし、十月に入ると、動物たちは地すべり
  斜面からいちはやく姿を消している。技術者たちは地すべり匍行が、ダムの水位の上昇と
  かかわりのあることをも知っていた。しかし、電力会社は、この事実の公表をさけ、
  もっぱら水位を最高許容量の七二五メートルまで上げようとつとめていた。/地すべりの
  移動がいちじるしくなった十月に入って、電力会社は所轄の県当局に通知したが、ダムの
  すぐ下流はべつな県で、こちら側はなにも知らされていなかったという。・・・官僚的な県当局
  の形式主義、なわばり主義の姿勢と、電力会社の営利主義こそ批判されなければならない。
  /しかし、批判の一部は住民側にも向けられよう。・・・/さて、技術者たちはその最後の
  瞬間まで、地すべりの移動を阻止しようと懸命になって努力していた。その努力は大いに
  評価しなければならない。しかし、その努力がダム建設前にこそもっと払われていたら、
  という気がしてならない。近視眼的な技術主義の優位が、先史時代におけるヴァイヨン峡谷
  の地すべりの故事について十分な評価を与えることをさまたげたのであろうか。

「近視眼的な技術主義の優位」か、気象観測システム・技術の開発の歴史にばかり頁を割き、
黒歴史には触れず、歴史を捏造して民間企業の功績を役所に横取りさせた愚書を思い出す(-"-)
  
ソレはさておき、「すべての災害には強い個性と、地域性ないしは風土性がある」ことから、
本書は災害についての歴史研究の必要性を訴えているわけだ。本書242頁でも、

  火山性地震活動の最終的段階は噴火である。それに先立って地震が多発することはよく
  知られている。しかし、火山にも人間と同様、〝くせ〟とか〝個性〟ともいうべきものが
  ある。いちがいに一般論は禁物であり、その近視眼的判断を避ける意味でも、
  噴火史への展望は欠かせないのである。

また本書290~291頁でも、  

  さりげない過去の記録のなかに、現在の噴火を客観的にみる鍵が隠されているかも
  知れない。そういう意味では、過去は現在を映す鏡にちがいない。/しかし、地球科学の
  原理の一つとして、「現在は過去の鍵」(The present is the key to the past)という
  のがある。英国の地質学者ライエル(1797~1875)の言葉である。本来の意味は、
  日常みられるごくふつうの現象の積み重ねの結果として、今日の地球の姿がある、という
  のである。/今回の三宅島の噴火の知識は、私たちの過去の読みを深くしてくれよう。/
  わたしも、じつは一九六二年の噴火記録を一読したとき、なんだこれはまるで、そっくり
  ではないか、ただ、「時と場所」が違うにすぎない、と思ったものである。/それなら、
  過去の事件を丹念に洗って、三宅の噴火の特徴をあらかじめ調べ、リストアップすることで、
  有効適切な対策が立つのではないだろうか。じつはほぼその通りなのである。/書かれた
  記録はなくても、先史あるいはもっと古い地質上の記録もあり、その解読はできよう。
  ただし自然をみる目も、本来、自由でなくてはならない。過去には、現在みられるのと
  違って、もっとスケールの大きな噴火もあっただろう。山頂部のカルデラ陥没、島北部の
  溶岩扇状地ができたときのことを考えると、あまり現在に拘泥し、厳密すぎれば、
  かえってとんでもない誤診を招くこともあろう。

リツヤ湾での史上最大の津波の章では、大変スリリングな目撃談だけでなく、その翌朝から
機上観察を始めて「ノートをとり、地図に書き込み、写真と映画を撮」(本書108頁)り、
更に現地を歩き回っての調査も行なったドン・ミラーの「敏捷さと機動性」も興味深かった。
本書120~121頁には、

  ここでむしろ問題なのは、研究者の迅速な行動と調査を可能にさせるアメリカの社会が
  背後にあるということだ。少しでもよい仕事をしなければ生き抜けないという、きびしい
  背景もあろう。およそ研究能力とは関係ない地位と、年功序列型の日本の大学や研究所の
  体質の中からは、有能な創造的研究の活力は生まれてくるはずもない。/日本の中で災害
  が起ったとき、ただちに現地入りすることがどれだけできるだろうか。

だが、ドン・ミラーは「迅速な行動と調査」だけではない。リツヤ湾の巨大波発生原因を解明し、
それを確信するようになったのは、目撃者の1人である「ウルリッヒの聞いた衝撃音もあろうが、
しかし先輩学者の啓発的助言や、世界各地の類例の文献収集とその比較研究という視野の広さが
あずかっていた。」(本書116頁)。

本書121~122頁で著者も述べている。

  調査であればかならずフィールドに出なければならない、というわけでもない。類例を求め、
  解決のヒントや研究方法を学び、また事件の位置づけをする綜合的作業も大切である。
  それゆえ、文献の収集、いわゆる情報集めは、たとえ風土性、地域性の強い災害科学
  であっても、けっしておろそかにはできない。否、むしろそれだからこそ、もっと熱心な
  情報集めが望まれる。しかし現状はどうなのか。/ドン・ミラーは収集した固体物質の
  崩落ないし地すべりにともなう巨大波の実例を述べているが、そのトップには九州島原の
  眉山の崩壊で生じた津波を掲げている。引用された報告が、二つとも古い(一九〇七、
  一九二四年)ことはともかくとして、むしろわたしたちはかれから、日本の特殊災害の例を
  改めて教えられ、再評価しているのではないだろうか。津波の先輩国日本が、あわてて
  目をこすっているような気がする。/それにつけても思うことは、日本の中で、文献渉猟を
  軽視する風潮がなきにしもあらず、また引用文献のナショナリズムの傾向さえ目につくこと
  である。これはなにも日本にかぎったことではないのだが、あるグループや仲間の文献しか
  引用しないというのであれば、これは学問ではなく、宗教であろう。文部省助成の研究や
  成果の一部研究者による寡占化も上げられる。

全く同じ状況が他の学問分野でもあるんだけどね(+_+) 関連する本書303頁もメモ(^^)

  災害が去ると一~二年の間は、専門の論文のラッシュである。とうてい忍耐強く読み通せる
  ほど容易ではないのである。一件落着したあとの残務整理―災害という観点からの総括的
  展望が必要になってくる。

さて、大災害の人災的側面、その予知における歴史軽視は、遠い国の出来事ではない(+_+)
本書の「桜島大正噴火」の章を読み、気象庁の「測候所の無能ぶり」(本書161頁)を知ると、
件の愚書の〈能天気野郎〉ぶりは何なんだ(-"-) この黒歴史には一言も触れてなかった(-"-)

「一月十二日の大正噴火は、はたして突如、予告なくして幕が切って落されたのであろうか。
手元の資料を注意深く検討してみると、けっしてそうではない。」(本書158頁)として、
誰がみても異常としか考えられない状況=噴火の前兆を慎重に紹介した上で、本書159~160頁は

  異変に接した島民の反応はどうであったろうか。十日夜から村民たちは動揺していた。
  あけて十一日、南岸にあった有部落では村長らが測候所に夜来の実況を電話で報告し、
  桜島の異変について問い合わせた。その回答は「桜島には異変なし」であった。村長らは
  この言に従って、島民の慰撫につとめたが、動揺した多数の島民は、これを信ずる余裕は
  なかった。村民評定の結果、非難の手はずを決め、大半はすでに噴火前日の十一日中に
  大隅半島に渡ったのである。/翌十二日、事態は切迫していた。地震は刻々とはげしくなり、
  横山方面の山体には異変が認められた。村長はさらに測候所にその判定を仰いだ。回答は
  いぜん同じであった。・・・/西桜島でも村民の動揺があった。しかし、こちら側でも
  測候所の判断にもとづく村長の言を信じて、十一日中の避難者はごく少なかった。
  それだけに十二日の混乱はいっそうひどかった。・・・

これじゃ、噴火後に各村長は立つ瀬がないよね(+_+) 続けて、本書160~161頁は、

  ここで、当然問題になることは、測候所の判断であった。各村長らの報告内容は、
  いまとなっては不明だが、はっきりと指摘できることは、十日夜以来地鳴りが起り、
  地震はその後しだいに度数をましつつあったことである。地温の上昇や、村民の間に
  語り伝えられてきた口伝のことも、およそ噴火の前兆とみられる異変は、少なくとも
  村長らの報告によって、十一日中には測候所側では了解ずみであったはずである。
  したがって、もし測候所がこれらの口頭報告を的確に把握し、状況判断していたら、
  少なくとも「・・・・・・異変なし」といったことは断言できなかったのではなかろうか。
  /これは明らかに測候所側のミスであったと認めざるをえない。だから、十二日正午の、
  爆発がスタートしたあとの公式発表は明らかに時機を逸したものであった。このときに
  なって、十一日以後の地震を火山性のものと認め、噴火は目下不明だが数日間はつづく
  であろうと述べている。
  
本書161~163頁では、当時の測候所とその弁護論を厳しく批判する。

  当時、学問として火山学・地震学のレベルが低かったことは認めなければならない。しかし、
  貧弱な地震計といっても鹿児島市ですらおびただしい地震を記録しているのだし、目と鼻の
  先の現地から・・・刻々電話報告がなされた。歴史時代の大噴火の経緯から住民が大噴火を
  憂慮したことに対して、科学的にはなんの根拠もないことであるとして「爆発説」を却下した
  測候所に住民の非難が集中したことは無理もない。この非難は不当で、不見識であったとも
  思われないのである。/はたして故事に学ぶことは「学問的とはいえない」のであろうか。
  わたしはそのような態度の中に、一部技術者の思いあがった姿をみいださずにはいられない。
  貧弱な施設の測候所に、火山の予知をしろという義務を負わせたことがそもそも誤りのもと
  であった、という議論もおかしい。いったいなんのために地震計を設置したのだろうか。
  測候所擁護論者は、桜島の火山性の地震は測候所では感じていなかったと述べているが、
  これはまったくの嘘である。というのは、十二日朝十時ごろ東京の大森房吉(地震学者)は
  十一日午前三時から十二日朝六時まで三三七回の地震があったという電報を鹿児島から受信
  しているからである。/当時、中央気象台の藤原咲平も測候所を弁護して、大爆発の予知が
  できなかったのは、地震学・火山学の幼稚にあった、と述べている。しかし、少なくとも
  この意見は、今回の桜島に関しては正しくない。噴火までに地震計は四一八回の地震を記録
  し、初発以来、初期微動は十一日にかぎっても三秒から一秒と明らかに短くなっている。
  村長の報告と合わせて検討すれば、桜島の下でどういうことが進行中なのかぐらいはわかる
  はずである。/大噴火が過去にいかなる経緯で起ったかについて、測候所はなんらの
  予備知識をももっていなかったのであろう。大正噴火のパターンは、まさに安永のそれと
  そっくりそのままである。古記録を調べれば明白なのである。それに前年の大正二年六月の
  伊集院地方を襲った二回の烈震(各M六・四、日置地震)も、また同年十一月から開始した
  霧島の噴火も、一月八日、桜島噴火のわずか四日前に第三回目の爆発が起っている。それに
  大森房吉が、大正二年の霧島噴火に先立つ宮崎県加久藤地方の群発地震の頻発に関連
  して、鹿児島県知事に対してすでに注意を喚起していたことも忘れるわけにゆかない。
  南九州には、あきらかに要注意のサインがでていたのである。
  
「大正噴火始末記」と題し、問題の一つに「古記録の再検討」を挙げる(本書168~169頁)。

  口伝の類には誇張と不正確はつきものだが、永年の風雪に耐えてきた先人の知識を、科学的
  に吟味し、将来に伝えて役立たせることは、わたしたちの一つの義務だと考えられる。この
  意味で、古記録の本格的な考証的検索が望まれる。安永・大正噴火にしろ、前駆現象から、
  噴火鎮静後の地盤沈下にいたる一連の事象には共通のパターンがみられるのである。近代的
  手法による噴火予知の問題点は、観測の精度をあげるだけで解決できるものでなく、どこで
  どのような現象をどのようにとらえたらよいかにかかっている。それらを適切に行う上で、
  古記録の吟味は大きな意味をもっているように思う。/・・・大正噴火における測候所の
  判断ミスは、明らかに桜島の挙動についての過去の資料の認識不足に原因があったと思う。

小説「迷走台風」で気象界の裏表に通じてることを窺わせた新田次郎について前に書いた(^^)

  http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-10-02

そこで、参照程度の予定が、あまりの面白さにブログそっち退けで読み耽ってしまったのが、
新田次郎『小説に書けなかった自伝』(新潮文庫,2012)。同書の「三つの実験小説」の章に
「これは火山をテーマとしたもので、桜島火山をめぐる京都大学の研究所、気象庁の観測所、
そして地元村民の三者の立場を書き分け、火山の恐怖を強調した百枚のものだった。」とし、
「・・・読者の間に好評だった。」と著者自身によって紹介された作品がある(同書172頁)。
それは「桜島」という小説だ(同『桜島』[中公文庫,1975]所収)。その「あとがき」で、
「・・・私にとっては或る意味で実験的な小説であった。」と述べているように(同書229頁)、
「・・・現地で取材をし、現地で書く・・・」という「ドキュメンタリー小説」(同書228頁)
と著者は同作品を規定する。ストーリー自体は大正三年大噴火の40年後からスタートするが、
大正三年大噴火を総括した文書のエッセンスの幾つかも作中において引用・紹介され、特に、
地震学・火山学が幼稚なせいと責任転嫁した点を、本書が批判(本書162~163頁)していた
藤原咲平による測候所弁護論が、同書35~36頁に引用・紹介されているのは有難かった(^^)
ただ、大噴火当時の鹿児島測候所長の未発表論文(同書60~61頁)は実在するのかしら^_^;
また気になるのはキーパーソンである鹿児島地方気象台の火山係長の次の台詞(同書49頁)。

  ・・・大学の研究所と違って吾々は、火山の情報は公衆に対して具体的にしかもすみやかに
  周知させるように務めなければならないという義務があるのです。地震や噴火の予知は
  しなくともよいということが気象業務法ではっきり規定されていますが、実際には情報
  という形式で、見解を述べねばならないのです。・・・五十年前も、今も、噴火の予測が
  できないということに於ては同じです。だが、吾々は事実上それを要求され、発表を
  求められ、・・・なにかを言わねばならないのです。・・・大正三年のあの噴火のときにも、
  もっとも正しいことをした鹿児島測候所長が・・・

また作中の新聞記者の口を借りて([ ]内は引用者)、

  つまり、気象庁は、大正三年の桜島噴火のときと同じように、[噴火するかどうかが]
  分からないときには、ノウ[=噴火しない]と言えという方針をいささかも変更して
  いないということでしょうか

と述べているけど(同書58頁)、要は、「イエス」と発表したらパニックになる、と当時の
測候所を弁護した藤原咲平の論理(「・・・心浮動して風声鶴唳的損害発生するは火を見る
より明かなり・・・」[同書36頁])が、その根底にあるんだろうね(+_+)

でも、「火山は生きた人間のように、性格がみな違うんですよ・・・」(同書46頁)という
主人公の心中は、本書が再三力説していた点に通じるし、同書70頁に出てくる、

  測候所が噴火を予知しなかったのがいけないというのではないのです。測候所には、
  なんとも判断が下せないから、島民は各自の判断で行動しろとひとこと言ってくれたら、
  あんな目にはあわないで済んだ筈です。

という村長の台詞が正解だったと小生は思うけどな(..)

なお、小生の読後感は他の「読者」とは異なるんだよね(^_^;) あくまで素人の感想だけど、
小説としての仕掛けが平凡陳腐だったし、物語の展開・構成にも違和感があり(「解説」で
奥野健男が指摘してた「・・・この小説の瑕瑾・・・」[同書233頁]もコレに含まれていると
愚考するね)、何より作品クライマックスにおける主人公の言動に、お口あんぐり(@_@;)

新田次郎『富士山頂』(文藝春秋,1967)は面白く一気に読み終えた(^^) ただ、この作品も
やはり時間の経過や場面の転換が小生には分かりにくく、読み進んで初めて気付く始末^_^;

『小説に書けなかった自伝』もメチャ面白かった(^^) が、『新田次郎全集』の月報連載時の
「私の小説履歴」という原題の方が、まだ内容に即していると思うな(^_^;) いや、ソレとて
〈新田が読んできた小説〉と誤解されそうだが、新田が書いてきた小説を自伝風に綴ってて、
新田のどの作品を読むべきか、著者自身によるガイドブックとして小生的には役に立つ(^^)v

大震災でゴミ屋敷化した実家の自分の部屋を片付けてたら、元々は父の蔵書だったと思われる
金子史朗『ノアの大洪水~伝説の謎を解く』(講談社現代新書,1975)を発見し、楽しみ(^^)
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