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小林大輔編『新古今和歌集』

評判が良いのは分るが、初心な読者をミスリードしかねず、
ビギナー向け入門書としては罪深いかも(+_+)
小林大輔編『ビギナーズ・クラシックス 新古今和歌集』(角川ソフィア文庫,2007)読了。

百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』(新潮社,1982)を読んだことは年末に書いたけど、
もっと新しい『新古今集』入門書を探してて、ネット上の世評に高い本書を読むことに(^^)

  http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-12-23

先ずは、食前酒として、
久保田淳訳注『新古今和歌集』上(角川ソフィア文庫,2007)5頁「凡例」六で名言発見(^^)v

  本書は『新古今和歌集全評釈』、新潮日本古典集成『新古今和歌集』に次ぐ、
  著者にとって第三回目の新古今和歌集の注釈であるが、今回この作業に従って、
  改めて注釈にはおわりがないことを痛感している。

映画「クラッシャージョウ」のエンディング(曲)を連想^_^;
滋味含蓄あるね(^.^) しかも、久保田淳だから、重みがあるよ(^^)
どの学問分野もそうだろうけど、『新古今集』も奥が深い世界なのね(@_@)
考えてみりゃ、本歌取りや本説取りが多いので、『新古今集』を理解するには、
『新古今集』以外・以前の和歌、物語、漢詩文等を理解せねばならぬ逆説があるわな(@_@;)
そのシンドさを想像すると、『新古今集』の研究者・専門家に対しマジで敬服m(__)m
久保田淳『新潮日本古典集成 新古今和歌集』上(新潮社,1979)380頁に曰く、

  一首の歌が二首の本歌を有する場合、または本歌と本説・本文を併せ持つ場合は、
  めずらしくない。古人は本歌がそれとわかるようにあらわに取れと教えているが、
  現代のわれわれから見ると必ずしも直ちにそれとわからない場合もある。
  本歌や本文がわからなくても全く解釈できないということはまれであろうが、
  それらを知ることによって解釈が深まることは事実である。

適切な本歌・本説・本文を探り当てられるかどうかが、注釈者の腕の見せ所なのかも(^^)

島津忠夫『新版 百人一首』角川ソフィア文庫の改説・変遷ぶりは前に書いたけど、

  http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-11-02
  http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-11-04

いくら「注釈にはおわりがない」とはいえ、久保田も結構凄かった^_^;
例えば、本書59頁が採り上げる藤原俊成の次の歌をチェックしたら、

  七夕の門渡る舟の梶の葉にいく秋書きつ露の玉づさ

久保田・前掲書・上121頁の頭注は次のように評してたけど、

  ・・・毎年七夕のたびに願い事を書きつけてきたという述懐。

久保田・前掲文庫・上165頁の通釈になると、「玉づさ」を単なる「文」から「恋文」へと
改説したこともあって、同歌の大意が全く異なる別物へと一変してた^_^;

実は前者の頭注を読んだ時、つい笑っちゃったんだよね^_^;
百目鬼・前掲書32~33頁が、俊成を次のように紹介してたのを思い出したから。

  ・・・おそろしく現役時代の長かったひとで、元久元年(一二〇四年)、九十一歳でなお
  『祇園社百首』を詠み、その年内に没しているという(久保田淳『新古今歌人の研究』)
  から、死ぬまで現役であったわけである。・・・/俊成がこれほど長生きしたのは、
  むろん体質であったろう。石田吉貞『藤原定家の研究』(文雅堂書店)によると、彼の
  家系は長寿者が多く、・・・

同歌を詠んだのは何歳かは調べてないけど、そんだけ長生きすりゃあ、七夕を何回も迎えて、
そういう「述懐」にもなるわな^_^; この俊成の長寿に関連して言うと、彼の有名な秀歌、

  またや見む交野のみ野の桜狩り花の雪散る春のあけぼの

本書35頁は次のように評している。
  
  俊成がこの歌を詠んだのは、八二歳の時である。彼の年齢からすると、
  初句の「またや見む」には、自分の余命を考えての詠嘆が込められている、
  と考えることもできそうである。

こういう解釈があるのは知ってたけど、俊成の享年を考えると、なんか違和感^_^;
なお、俊成の前記七夕の歌のことを本書60頁は、

  七夕祭りの風習を、こんなロマンチックに詠んだ歌は他に例がない。

と断定してるけど、異論ある人いそう(@_@) 本書の著者は歯切れの良すぎる嫌いが^_^;

さて、メインディッシュだが、本書「はじめに」は次のように記している(本書3頁)。

  本書は、新古今和歌集約二千首のうち、八十首を取り上げたものです。
  まず和歌の本文を掲げ、現代語訳、和歌の解説という順番になっています。

実際には各歌の解説の中で言及してる『新古今集』入集歌もあるので80首よりは少し多い。
巻末に『新古今集』についての「解説」と付録の「和歌初句索引」、また随所に啓蒙的な
「コラム」18篇も収録されてる。驚いたのは、『新古今集』は全20巻から成るわけだが、
各巻から最低1首は採り上げてる本書の構成(^^) 『新古今集』の全容を初学者へ伝えん
とする著者の意欲を感じて頭が下がるm(__)m ただ、巻第一から巻第六までの四季の歌から
40首、巻第十一から巻第十五までの恋歌から20首撰んでて、両者で4分の3を占めてる^_^;

80首の内訳は、定家(10)、西行(8)、俊成(6)、後鳥羽院(5)、式子内親王(5)、
良経(5)、慈円(5)、家隆(5)、宮内卿(4)、俊成卿女(4)、寂蓮(3)、雅経(2)、
秀能、持統、忠良、顕昭、宜秋門院丹後、顕輔、家持、赤人、家長、兼輔、伊勢、好忠、
儀同三司母、小侍従、紫式部、道真、清輔、鴨長明の30人(括弧内がその歌の数)。

底本が違うかもしらんが、石田吉貞『新古今和歌集全註解』(有精堂出版,1960)864頁に
よると、『新古今集』に採られた歌人は実に397人もいる(よみ人しらず等は除いてだが)。
ただ、同書864頁によると(同書の引用は漢字を新字体に改めているm(__)m)、

  ・・・この集がいかに現存歌人[撰集の命が下った建仁元年11月3日に生存してた者]の作を
  重視したかということが明らかに知られるが、しかしこれだけでは、実は真相が明らかに
  されたとは言い難い。何となれば、現存者の中にも一人一首だけの者が二十六人もあって、
  それらは半ば恩恵的に入れられたと言い得るからである。

となると、一発屋はともかくコネ勅撰歌人を採り上げてたら、そのセンスが疑われるな^_^;
本書が撰んだ30人はどうなのかな(..) 石田・前掲書から入歌数の多い順に作者を挙げると、

西行(94)、慈円(91)、良経(79)、俊成(72)、式子内親王(49)、定家(46)、
家隆(43)、寂蓮(35)、後鳥羽院(33)、貫之(32)、俊成卿女(29)、
和泉式部(25)、人麻呂(23)、雅経(22)、経信(19)、有家(19)、秀能(17)、
通具(17)、道真(16)、好忠(16)、実定(16)、讃岐(16)、伊勢(15)、
宮内卿(15)、匡房(14)、通光(14)、紫式部(14)、清輔(12)、俊恵(12)、
業平(12)、実方(12)、俊頼(11)、家持(11)、徽子女王(11)、相模(11)、
兼実(11)、重之(11)、行尊(11)、殷富門院大輔(10)、赤染衛門(10)、
公経(10)、伊尹(10)、鴨長明(10)、村上天皇(10)、能因(10)、躬恒(10)、
能宣(10)、宜秋門院丹後(9)・・・へぇ~と思うところがあり、つい興に乗って
リストアップしちゃったけど、限がないので、これぐらいで止めておこう^_^;

本書に撰ばれた作者の3分の2は重なるから、『新古今集』の紹介として適切かも(^^)
でも、入集歌多数にもかかわらず本書で採り上げられてない代表的な歌人がいる一方、
入集数が少ない作者を本書が採り上げたのは、どうなん(..) 勿論、『万葉集』以外の
重出歌は認めない『新古今集』の方針(例外あり)のため入集数が少ない作者もいるし、
肝心なのは本書が採り上げた歌が秀歌かどうかだけど^_^; でもさ、例えば、藤原有家、

  朝日かげにほへる山のさくら花つれなく消えぬ雪かとぞ見る

  夢かよふ道さへ絶えぬ呉竹の伏見の里の雪のしたをれ

あるいは、源通光、

  むさし野やゆけども秋のはてぞなきいかなる風の末に吹くらむ

などなど有名な秀歌の落選は残念(;_;) 撰ばれてる作者でも、他にもいい歌あるし^_^;
ただ、本書が採り上げて解説した歌が全て『新古今集』を代表する秀歌なのかしら(..)
ここで気になったのは、六条藤家の1人だけど、『新古今集』入歌数が僅か2首の顕昭の
「萩が花ま袖にかけて高円の尾上の宮に領巾振るやたれ」を採り上げ解説した本書62頁。

  学問に優れた顕昭だが、歌を作るのは下手だと評されていた。『新古今和歌集』の撰者
  である藤原定家は、なぜこの歌を選んだのかという非難に対し、「顕昭の歌の中では、
  これよりすぐれたものがないからだ。」と答えたという。しかしこの歌には、
  定家の作などともまた違った面白さがあると思われる。

同逸話は有名で、多くの注釈書が紹介してるけど、当該「非難」をしたのは定家と同じく
「『新古今和歌集』の選者である」藤原家隆であり、しかも、定家の「答え」に同意して、
同歌を批判したことを、本書の著者は何故か伏せてる(..) 『新古今集』歌人の双璧である
定家と家隆よりも著者の鑑賞眼の方がたしかなのかね^_^; 実は、本書が採り上げた80首中
14首もが百人一首にも入っている歌(式子内親王、寂蓮、雅経、持統、忠良、顕輔、家持、
赤人、兼輔、伊勢、好忠、儀同三司母、紫式部、清輔の歌で、しかも、その内なんと10人が
本書で一首しか紹介されてない作者)なんだよね^_^; 『新古今集』のことを知りたくて、
本書を手に取ったのに、また百人一首かよ(-"-) と思ったけど、もしや、著者は秀歌でない
変な歌を採り上げてしまって、そのセンスを疑われることがないよう、置きに行ったのかも、
と邪推しちった^_^; 本書の歌のチョイスに関しては、正直チョイがっかりだったよ(;_;)

でも、著者は高校教諭らしく、また本書がビギナーを対象にしているということもあってか、
その叙述は非常に明解で分かり易く、小生のような初学者の頭にもすっきり入ってくる(^^)
本書の感想をネット上で見た限り大変好評だったのも得心した(^^)

百目鬼・前掲書を読了し、同書に載る『新古今集』入集歌は石田・前掲書で確認し、少しだけ
予備知識があったこともあり、本書を読みながら、百目鬼に比べると浅いなぁ、と感じること
も時にはあれど、同じ歌でもこういう解釈・鑑賞もあるのね、と本書から多くを学べたm(__)m

だが、本書30頁の西行の「吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬ方の花を尋ねん」の解説を
読んで、小生の目がマジ点になったよ(@_@)
  
  初句の「吉野山」は、大和国(現在の奈良県)の歌枕である。
  古来、最も有名な桜の名所であった。・・・また、第五句の「花」は、桜のことである。
  和歌の世界では、「花」は桜の代名詞であった。  

はぁ?! ならさ、こないだ某有名進学校の女子高生が百人一首の参考書を熱心に読む姿を
電車内で見かけたけど、例えばの話、百人一首にも入る紀貫之の『古今集』の有名な歌

  人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける

この「花」も桜を指している、と著者は高校で教えるのかな?
まさか著者は『新古今集』の歌やその本歌に出てくる「花」は全て桜と決めつけて、
『新古今集』の歌を解釈・鑑賞してるのかしら(@_@;)

もしそうなら、本書20頁で紹介している藤原清輔の『新古今集』の秀歌

  薄霧の籬の花の朝じめり秋は夕べと誰かいひけむ

この「花」も桜と著者は解するのかね(@_@) 秋に咲く桜かよ( ゚д゚)ポカーン
ちなみに、久保田・前掲文庫171頁は「籬の花」を次のように説明する。

  籬(間を広く開けて結った垣)に咲く花。具体的には朝顔などをイメージしていうか。

あるいは『新古今集』の「春歌」から挙げるなら、凡河内躬恒の次の歌、

  いづれをか花とはわかむ古里の春日の原にまだ消えぬ雪

石田・前掲書30頁は、この「花とは」の註で、

  春日野には梅をよむことが古来多いから、此の花は梅と解すべきである。
  雪と区別がつかぬという点からも梅と解される。 

久保田・前掲書27頁の頭注も「雪中梅(白梅)」、同・前掲文庫47頁の通釈も「白梅の花」。
でも、本書の説明を真に受けた初心な読者は、これらを全て「桜」と誤読しちゃうかも^_^;

〈和歌の世界では、「花」は桜の代名詞であった〉が如何に暴論で不正確か、この点を論じた
先学諸賢の見解を引けば、例えば、和歌森太郎『花と日本人』(角川文庫,1982)168~169頁。

  ・・・「花」といえば、直ちに桜を思うほどになったのは、古来のことでもない。
  本居宣長は『玉勝間』の中で、「ただ花といひて桜のことにするは、古今集のころまでは
  聞えぬ事なり」と説いている。平安中期ごろからのことという理解である。/
  花といえば桜と思うふうは、いわゆる国風文化の発達に伴うことかもしれない。/・・・/
  だから、花についても、中国では詩文に梅が顕著で、日本でも『万葉集』あたりには、
  梅が桜よりもまさってよく詠じられたのに、『古今和歌集』のころから、桜が優位に
  立つようになった、と解されてきた。/だが、梅から桜へと、そうはっきり推移したわけ
  でもないし、『万葉集』にも、/・・・/したがって一概なことはいえない。・・・

和歌森は歴史学・民俗学が専門だけど、本居宣長の指摘を受けて論じてるからね(^^)
まさか本書の著者は本居宣長よりも「和歌の世界」に詳しい碩学なのかな( ゚д゚)ポカーン
でも、本居宣長と同じことを、たしか契沖も書いてたはずだし、
折口信夫の弟子で、王朝の和歌・物語が専門の研究者である、
西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)40頁も、

  たとえば、『古今集』の時代に、ようやく春の花の代表は桜ということに固定しようと
  してきている。万葉びとは外来のハイカラな花として梅を非常に愛しているが、
  『古今集』においては、桜と梅とが春の花の王座を争っている。『古今集』の春上の巻には
  梅の花が十七首あるのに対して桜の花が二十首ある。ほぼ勢力がつり合っているが、
  春下の巻になると、桜の歌が五十首という大群をなしていて、ほぼこの巻の四分の三を
  占めている。春の花と言えば桜ということに固定しようという傾向が見られるわけである。
  しかし、『古今集』では、単に「花」と言った場合に、それが桜の花を指していることも
  あれば、梅の花を指していることもある。/・・・ところが、『古今集』を継承した
  『後撰集』『拾遺集』以下の勅撰集になると、だんだん「花」ということばをもって
  梅の花を指すことが少なくなってくる。そして、圧倒的に「花」が桜の花を
  意味するようになってくる。

湯葉と豆腐が食べたくなる^_^; 最近の本を引くなら、やっぱアレでしょ(^^)
島津忠夫訳注『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫,1999→2008新版16版)30頁の脚注1も、

  花といえば桜をさすことは、『古今集』のころから、ようやく固定しはじめる。

安東次男『百人一首』(新潮文庫,1976)の「語釈」が一番誤解を招かない表現かと(^^)
同書55頁で、

  上代では梅花を指して遣うばあいが多いが、古今集のころから主として桜花を意味する
  ようになる。

同書111頁も、

  古今集ごろから「花」は梅よりも桜の花を指すことの方が多くなるが、・・・

溺れる犬を打つことになるけど、本書の「参考文献」にも挙げられている(本書212頁)、
片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』(笠間書院,1999)342頁の「花」の項の冒頭には、

  「国語」の時間に古典を初めて習った頃、「花」といえば「桜」のことだと何となく
  教えられ自分も納得していた。しかし、その後、古典文学を専門に研究するようになると、
  そうではないことがすぐにわかった。教育現場での常識が学問世界の常識と異なることは
  多い。

本書は「国語」の「古典」の授業レヴェルで、著者には「学問世界の常識」が無いのかも^_^;
じゃなきゃ、この著者は読者を見下してるんだろうね(+_+)

この本書30頁の解説には、他にもおかしな点があるんだよね(@_@)
「吉野山」という歌枕について、片桐・前掲書456~457頁は次のように述べている。

  吉野山は、このように平安時代中期までは、いわば雪の名所であり、霞がそれに付随して
  よまれているのであるが、桜の名所としての吉野山のイメージはそれほど強くはなかった。
  「み吉野の吉野の山の桜花白雲とのみ見えまがひつつ」(後撰集・春下・読人不知)
  「吉野山消えせぬ雪と見えつるは峰続き咲く桜なりけり」(拾遺集・春・読人不知)など
  まったくよまれていなかったわけではないが、三代集時代の例を示すことは必ずしも容易
  ではない。その後、『堀河百首』の時代に少し見えたりするが、吉野山と桜の関係が決定的
  なものになるのは、やはり「吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬ方の花をたづねむ」
  (新古今集・春上)を代表とする数々の歌をよんだ西行とその時代だと言わざるを得ない
  のである。

本書30頁で西行「吉野山去年のしをりの・・・」を「古来、最も有名な桜の名所であった」と
解説してたけど、西行の同歌等によって初めて〈最も有名な桜の名所になった〉んじゃん(-"-)

本書92頁の「本意」と題したコラムでも、

  『新古今和歌集』の時代になると、和歌に詠める事物も、その事物をどう扱うか
  ということも、かなり厳しく決められていた。その決まりのことを、「本意」と呼ぶ
  (「ほんい」とも「ほい」とも読まれる)。例えば、富士山には必ず煙が立っている、
  と詠まなければならなかった。それが最も富士山らしいと考えられたからである。

と断言するが、本書103~104頁が採り上げた山部赤人の有名な「田子の浦に・・・」は、
「煙が立っていると詠」んでないね^_^; そもそも片桐・前掲書361~362頁の「富士」の項に、

  ・・・のように、異性を恋い慕う心を噴火する煙火にたとえる表現と、・・・のように
  山頂に常に雪があることをよんたものとの二つの詠法があったが、平安時代に入っても
  この傾向は変わらず、・・・平安時代末期になると、・・・「富士の山おなじ雪げの雲間より
  裾野を分けて夕立ちぞする」(同[=後鳥羽院集])など叙景歌的雰囲気を持った
  幽玄な歌がふえてくるのである。

片桐・前掲書は本書の「参考文献」に挙げられてるが、全く「参考」にしてないみたい(+_+)
同書は刊行に至るまでの角川書店のダメっぷりも「はしがき」で明らかにするのはさておき、
知りたいことに端的に答えず歌で語らせてる嫌いはあるが、「読める辞典」で超面白い(^^)
片桐の『古今和歌集全評釈』『伊勢物語の新研究』を谷沢永一『紙つぶて 自作自注最終版』
(文藝春秋,2005)209&547頁は高く評価していて、その209頁に興味深い一文があった(^^)

  鎌倉から南北朝にかけての古注釈書は、ありもしない出典を捏造して、
  学問的な深さがあるかのように、手練手管を弄したのである。

また本書46頁に、

  そして、五月雨も郭公も、和歌の世界では、人に物思いをさせるものとされていた。

更に本書48頁で、

  しとしとと降り続く五月雨は、人を室内に閉じ込めて、何となく憂鬱な気分にさせる。・・・
  /・・・郭公もまた、人に物思いをさせる鳥なのであった。

また一部を全部とするメチャクチャぶり(+_+) ほととぎすが、五月雨と一緒くたにされ、人を
「何となく憂鬱な気分にさせる」のは一面にすぎないのにその全てかのように決めつけられて
可哀想(;_;) 例えば、よく政治状況と絡めて深読みされている、後鳥羽院の『新古今集』の歌

  時鳥雲居のよそに過ぎぬなり晴れぬ思ひの五月雨のころ

著者はほととぎすが雲の彼方を過ぎて行き物思いの種が一つ減ったとでも解するのかね(..)
窪田空穂『新古今和歌集評釋』(東京堂,1950)上巻18頁は次のように解説してた。

  五月雨の頃、晴れぬ思ひをしてゐられると、たまたま時鳥が鳴いて、
  それが慰めになると思われると、忽ち遠く鳴き過ぎてしまった。

御覧の通り、ほととぎすは著者が断定するように人を「憂鬱な気分にさせる」どころか、
むしろ五月雨による「憂鬱な気分」を振り払ってくれる「慰み」となるはずだった(^^)
「五月雨」は「・・・心も晴れず物思いにふける心情とともによまれることが多かった。」
(片桐・前掲書183頁)が、片桐・前掲書は「時鳥」のさまざまな詠まれ方を紹介した上で、
「時鳥はこのように平安時代の人に限りなく愛されたゆえに・・・」とする(同書378頁)。
ほととぎすならやはり西村・前掲書を紹介しないとね(^^) 同書の「解説」で、益田勝実が
同書の「ほととぎす」を論じた一節を引用して、次のように述べてる(同書237~240頁)。

  ・・・行文の周到さ、知りたいことを根こそぎ教えてくれる綿密な書きこみ方に驚いたこと、
  驚いたはよいが、そのあと、/・・・と読みたどってきて、次の一節で本を置いた。
  その先が読めなくなるほど、つぎつぎの思いが襲いかかってきたのだった。西村さんは
  こう書いている。/・・・/蒙がひらかれるとはこういうことだろう。・・・/
  池田彌三郎さんの書かれるものには、ひとつ上の世代だという気もあって、簡単に
  シャッポを脱ぎつけているが、西村亨さんには、離れたところで育った同世代のライバル
  という感じを抱いているから、終日悶々としていた。・・・だめな自分を思い知ったその日は、
  あとのページを読むことができなかった。そんな記憶は忘れるものではない。
  ひそかに畏敬の心を抱くようになった。

専門家ですら「蒙がひらかれる」のだから初学者の小生など言うまでもない^_^; 受験の役に
立つかもと買って読んだのは憶えてたが、今回再読し、これほど面白く為になる本だったとは
(@_@;) 今年のベストかも^_^; 当たり前だが、読書にもレディネスが必要ということだね。
となると、当ブログで批判した愚書駄作もむしろ小生の方に問題が・・・んなわけねーよ^_^;

「ほととぎすは夏の鳥の代表であったばかりではない。一年を通じても最も親しまれ、最も
関心の集められた鳥で、・・・/・・・しきりにその初声が待たれている。」(同書116頁)。
何故か?「・・・五月になったそのついたちの朝からほととぎすが鳴くものだという知識が固定
しているが、・・・それほどほととぎすと五月とが強く結び付いているのである。/もっとも、
本当に五月を待っているのはほととぎすよりも実は人間のほうであるだろう。人間が五月を
待っている気持ちがほととぎすに託されていると見ていい。」(同書117頁)。「・・・王朝びとの
季節感は、根本に農村の生活があって、農村的な年中行事と深く結び付いている。」(106頁)。
それ故、「・・・農村にとってさつきは最も重要な月であり、そのさつきを教えるほととぎすも
自然深い関心が持たれたのである。」(同書118頁)。このような背景があり、ほととぎすは
「限りなく愛され」、その鳴き声を待ち焦がれて、あるいは聞けなくて「人に物思いをさせる」
こともあったりするが、「人を室内に閉じ込めて、何となく憂鬱な気分にさせる」五月雨と同列
に扱うのは糞味噌の類い(-"-) 勿論、同書は「もうひとつ、ほととぎすには冥土の鳥という暗い
印象がある。・・・/・・・ほととぎすは一方に暗く、ゆううつな連想のある鳥であった・・・」
(同書120~121)ことも指摘するが、「もうひとつ」「一方に」とある点を忘れてはならない。
ただ、「民俗学的国文学」と、益田の言う「深く文献学に傾斜している、アカデミーの国文学」
(同書236頁)との違いによるものなのか、注釈書の中には「ほととぎす」と「やまほととぎす」
を全く同じものと捉えてたり、同書のほととぎす観からはズレた解釈が結構なされてるね(..)
先の後鳥羽院の歌についても、

  重苦しい五月雨のころ、政治上の悩みをいだいていた作者に、雲のかなたを鳴き過ぎた
  ほととぎすの声は、悩みをさらにかき立てるものであった。その実感の重みがある。
  
と峯村文人校注・訳『新編日本古典文学全集43 新古今和歌集』(小学館,1995)85頁は解説。
またほととぎすは五月と「強く結び付いている」から五月雨とよく一緒に詠まれているのに、
ほととぎすと五月雨を短絡的に結び付ける傾向も(..) 吃驚したのは、ゴミ部屋から発掘した
『例解古語辞典 第二版[ポケット版]』(三省堂,1985年第三刷)742頁の百人一首の注解で、
後徳大寺左大臣(藤原実定)の「時鳥鳴きつるかたをながむればただ有明けの月ぞ残れる」。

  五月雨の降る一夜、ずっと心待ちにして耳をすませていた、そのホトトギスが、たった今
  たしかに鳴いた。あわててその姿を求めるように今鳴いた方向に目をこらしたが、
  しとしとと降っていた雨は、いつのまにかやみ、・・・そんな情景を頭に浮かべてみよう。

ほととぎすの歌なら機械的に五月雨を読み込んでしまう謎の解釈・鑑賞エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

ついでだけど、本書180頁でも首を傾げたね^_^;

  元久二年(一二〇五)に、『新古今和歌集』がいったん成立すると、
  後鳥羽院の関心は、急速に和歌から政治へとシフトしていった。

著者自身が巻末の「解説」(本書264~265頁)で次のように記してるのにね(+_+)

  元久二年(一二〇五)二月二十二日、全部の作業が一応完了。三月二十六日には、
  完成を祝う竟宴という宴会が行われた。・・・/竟宴の翌々日から、早くも歌を追加したり
  削除したりする、切継の作業が始められた。院が命令する際限のない切継作業に、定家は
  たまらず愚痴を漏らしている(・・・)。これが承元四年(一二一〇)の九月まで続く。

これも有名な話で、久保田・前掲書・上361頁は、後鳥羽院には『新古今集』に対する「執念に
近いものがあったのではないか」と想像するぐらい、「成立」から5年間も御執心じゃん^_^;
そして、ようやく切継が終わりに近くなると、

  ・・・後鳥羽院の心は次第に和歌から離れて、むしろ遊戯的な連歌に興ずることが多く、
  また近臣に勝負の笠懸(勝敗の結果を競う騎射)をやらせるなど、少年の頃のように
  武芸に関心を示している。

と同書362頁は解説するけど、「次第に」とあることに注目^_^; 「急速に」じゃねーよ(-"-)
しかも、その一方で、久保田・前掲文庫・下422頁には、

  この頃、後鳥羽院の詠歌に対する意欲はやや衰えていたようにも思えるが、
  順徳天皇に刺激されたか、建保四年(一二一六)には人々に百首歌を詠進させている。

とあり(ここも「やや」であって「急速に」ではない)、宸襟は下下には分かりませぬ^_^;

ビギナーが理解しやすいよう歯切れ良く書いたとしても、むしろビギナーが対象だからこそ、
不正確な記述は避けるべきだろ(-"-) 本書全体の記述内容、特に歌の解説(訳・解釈・鑑賞)
まで疑わしくなってくるよ(;_;) そこで、本書が最初(15~16頁)に採り上げた後鳥羽院の
次の秀歌の解釈・訳に引っ掛かっる点があったので、試しにチェックすることにした^_^;

  ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく

手元の石田・前掲書(&時に百目鬼・前掲書)、久保田・前掲書と久保田・前掲文庫を
常に参照しながら、本書を読んでいたが、この歌も石田や久保田とは異なる解釈・訳
(「ほのぼのと」が「夜がほのかに明けていく様子と、霞がうっすらとかかっている
様子の両方の意味で使われている。」として、「夜明け」の場面とする)だったので、
はたして本書のような解釈・訳もあり得るのか、他の注釈書等でも確認してみた^_^;
峯村文人校注・訳『完訳 日本の古典35 新古今和歌集』一(小学館,1989)、同・前掲書、
久保田淳『新古今和歌集全評釈』(講談社,1976)第一巻、窪田・前掲書上巻は、本書の
ような解釈・訳を採っていない。だが、田中裕&赤瀬信吾校注『新日本古典文学大系11
新古今和歌集』(岩波書店,1992)、丸谷才一『後鳥羽院 第二版』(筑摩書房,2004)、
吉野朋美『コレクション日本歌人選028 後鳥羽院』(笠間書院,2012)は、本書と同じ
ような解釈・訳をしていた。この解釈・訳は丸谷が1973年に「著者不明」や「偽書」の
〈古注釈書〉も参考に提唱したのが嚆矢なのかしら(..) それがじわじわと影響か^_^;
ただ、当該解釈を吉野・前掲書45頁は支持しつつも、

  文法的には二、三句にかかる形ではあるけれども、初句に「ほのぼのと」とよみだした
  ことで広がっていく春の雰囲気は、一首全体の情景をほんのりおおっているように
  読めないだろうか。初句にこの句があるからこそ、文法的には無理なのに、結句の
  「霞たなびく」までそのイメージが続いている。ちょっとずるいかもしれないが、
  そう考えてみたい。

とあり、やはり無理筋なことが分ったので、それで小生的には満足し、時間も惜しいので、
他の歌の気になる点など、これ以上は調べないことにした(^^) 所詮、素人だしね^_^;
専門家による本書の書評を読みたいね(^^)「宣伝、太鼓持ち、仲間褒め」でないのを^_^;
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