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杉本苑子『蝶の谷』

旺文社文庫は古本屋に少なくネットで入手(^^)v
春陽文庫じゃなくて良かった^_^;アレはツチノコみたいなもんだからね(@_@)

喜国雅彦が春陽文庫の「コレクター泣かせ」っぷりをユーモラスに書いてて笑える^_^;

  http://www.kunikikuni.com/kikuni/tantei/z.syunyou.html

これほどじゃないけど、旺文社文庫も結構いい加減だよ^_^; 面白そうな作品あるのに(..)

杉本苑子『蝶の谷』(旺文社文庫,1987)を今回購入したけど、収録作品は次の通り(^^)

  蝶の谷
  乾いたえくぼ
  蛇
  嫦娥
  鳥獣戯画
  礼に来た幽霊
  三つぼくろの男

その巻末に「旺文社文庫新刊・近刊」の案内が載っていて、本書も紹介されている。

  養母と妻の励ましで役者として大成する男を描く表題作ほか、
  「乾いたえくぼ」など六編を収録。

・・・何か変じゃね(@_@) 現に本書カバーの内容紹介文だと、次のようになってる^_^;

  ・・・表題作ほか、・・・など七編を収録した傑作時代小説集。

最初は、単なる誤植・数え間違いかと思ったんだけど、手元にあった
寺尾善雄『中国英雄伝』(旺文社文庫,1986)巻末の「旺文社文庫新刊・近刊」の案内でも、
海音寺潮五郎『蘭陵の夜叉姫』(旺文社文庫,1986)について、

  中国時代小説集。表題作ほか、「美女と黄金」「鉄騎大江を渡る」
  「天公将軍張角」の四編を収録。

と記されてた(+_+) 同書の収録作品は「崑崙の魔術師」も加えた5篇なのにね^_^;
ただ、同書の場合は、そのカバーでも、

  ・・・表題作ほか、・・・など四編を収録した中国時代小説集。

となってて、善意に解しようとすると、こっちの日本語感覚までズレてきちゃう(@_@;)
この類いは他にもあるから、巻末の「旺文社文庫新刊・近刊」の紹介文は当てにならん^_^;

さて、杉本の『江戸を生きる』(講談社文庫,1997)収録の「泣き笑い人生 中村仲蔵」という
随筆を読んで、仲蔵を描いた「蝶の谷」と「仲蔵とその母」の両短篇を読みたくなったこと、
「仲蔵とその母」は収録している文春文庫の『冬の蝉』を借りて読んだことは前に書いた(^^)

  http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-09-03

んで、利用可能な図書館に無く、行動範囲内の古本屋・新古書店もチェックしてたが無いので、
今回待望の『蝶の谷』ゲットなわけだが、読むと既視感バリバリで、『冬の蝉』は未所蔵ゆえ
断定はできないけど、どうも「仲蔵とその母」は「蝶の谷」を改題しただけの作品みたい(..)
その事実は『冬の蝉』に記載されてなかったはず(-"-) わざわざ買って損したじゃんか(;_;)

・・・と思いつつ、『冬の蝉』で読んだ「嫦娥」も収録されていたから再読してみたところ、
著者の巧さに気付いて、「嫦娥」って実は名作・傑作なんじゃね!?(←個人の感想です)と
独り興奮しながら今回駄文を綴ってみた次第(^^) ネタバレになるが「追記」部分再録m(__)m

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[追記]
杉本苑子『冬の蝉』(文春文庫,1988→新装版2006)読了(^^)「墓石を打つ女」「菜摘ます児」
「礼に来た幽霊」「冬の蝉」「ゆずり葉の井戸」「嫦娥」「仇討ち心中」「仲蔵とその母」を
収録した短篇集で、英雄豪傑活劇タイプの時代小説ではないけれど、どの作品も良かったし、
本書が取り上げていた史実を基・背景にした数篇はヨリ面白く読めた(^^) 個人的な趣味では、
「嫦娥」が気に入った(^^) 以下、少々ネタバレにはなるが、三弦の名手である原武太夫盛和
(原富五郎、原富)が三味線の音色の異常から津浪の来襲を察知した冒頭の逸話は、森銑三
『偉人暦』上(中公文庫,1996)293~295頁の「七月九日 原武太夫」の項にも出ていたけど、
千瀬(遊喜、安祥院[家重側室])との絡みは杉本の創作なのかな(^_^;) また、森によると
原は「放蕩者」だった由(同294頁)、杉本はキャラ設定を改変して面白い物語を拵えた(^^)
なお、月岡芳年『月百姿』に「嫦娥奔月」と題した作品があり、+αもあるけれど、これも
先行作品のパクリらしい(-_-) パクリ繋がりじゃないが、京扇堂ブログに原武太夫登場(^_^;)

「はなしの名どころ」という調査の行き届いた下記のサイトに辿り着き、三遊亭圓朝「名人競
[くらべ]」に原武太夫が出てくるのを知った(^^) だが、ヤボなことを言うようだが、圓朝は
原の逸話の津浪を有名な大火(1772年の明和の大火、目黒行人坂大火)に変えてしまってて、
これでは原の芸が神の域に達してたことが伝わらない上に人為的に起こせる大火(実際、放火
だった)では全くのナンセンスだし、また明和の大火は原が1736年に三味線を断った後の出来事
なので時代考証的にもありえん(+_+)
http://homepage3.nifty.com/nadokoro/toto/10/36meguro.htm

下記の「三遊亭圓朝のブログ」の「名人くらべ」をテキスト化した労作を拝読させて頂いたが、
「昔明暦の大火事の時目黒の行人坂《ぎょうにんざか》から出た火事を・・・」とあり、もし
作成者の誤植でなけりゃ、歴史上有名な明暦の大火(1657年)と明和の大火(目黒行人坂大火)
を一緒くたにしてて論外(^_^;) また、明暦の大火は原の生年が1697年なのでありえん(+_+)
http://blogs.yahoo.co.jp/encho_blog/33854858.html

百目鬼恭三郎『奇談の時代』(朝日文庫,1981)に当たったら、同書58~59頁に三味線の名人の
原某が津浪を予知した逸話、それが大田南畝『仮名世説』に載っていることが紹介されてた(^^)

日本随筆大成編輯部編『日本随筆大成 第二期 2』(吉川弘文館,1973)所収の大田南畝『仮名
世説』の該当箇所(同書248頁)を閲覧(^^) 「巧芸」という項目の1つとして、「原氏某」の
逸話として紹介されていたが(内容は百目鬼が紹介した通り)、「津浪」という言葉は無くて
「海嘯」という言葉が使われていた(森・前掲書293頁は「津浪」と「海嘯」の両方を使うも、
後者には「つなみ」と振り仮名)。今読んでいる金子史朗『世界の大災害』(中公文庫,1988)
99頁によると「また、津浪を海嘯[つなみ←振り仮名]と呼ぶのは誤りで、これはラッパ状に
開いた河口における高波のことである。」南畝がこのように厳密に使ってるか不明だけど(^_^;)

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さて、杉本苑子の短篇小説「嫦娥」の主人公でもある、

  原富、原富五郎、乃至原武太夫の名は、古い本に散見する。

と森・前掲書293頁は書き出し、津浪を予知した逸話の他にも、逸話を幾つか紹介してる。
杉本の設定と異なり、原武太夫は「放蕩者」で「吉原と堺町を自分の家のようにして遊び
暮した。尾張の宗春侯の取り巻きとなって出かけもした。」云々とのこと(同書294頁)。
だが、その粋なエピソードも記してて、「武太夫はただの放蕩者ではなかった。武芸にも
優れ、歌文も堪能だった。」(同書294頁)としており、武太夫は小説、ドラマ、映画の
主人公になってもおかしくない人物に思えるので、杉本が目の付けたのも当然だろう(^^)
でも、「天が感応」するほどの三弦の神技(その逸話も森・前掲書293~294頁が紹介)を
持ちながら、あっさり絶ってしまった話に焦点を絞るため、性格を変えて設定したのかな。
そこに千瀬(お遊喜、安祥院[家重側室])を結びつけ、唐代の詩人も用いる嫦娥の伝説
を下敷きにしたファンタジーを拵えたわけだ。あくまでド素人の想像ゆえ御容赦をm(__)m

百目鬼・前掲書58~59頁は、この「嫦娥」でも使われた津波予知の逸話を紹介した後、

  『武江年表』を見ると、元禄十六年(西暦一七〇三年)十一月二十二日夜江戸に
  大地震があり、地震後津波があり房総で人馬が死んだとあるから、そのときか、
  あるいは宝永三年(西暦一七〇六年)九月十五日の大地震の話であろうか。

と考察するところが、いかにも百目鬼らしく流石だが、武太夫の生年と合わないし、また
大地震後の津波だったとすると、武太夫が三味線の音色がいつもとは異なること(しかも、
「嫦娥」では、同席した超一流の唄い手である河東節の元祖の河東意教や武太夫の門弟の
高木序遊らにも感じ取れない異常に描かれている)から津波を予知したという、この逸話
の凄さが感じられなくなるよね(+_+) 勿論「嫦娥」は小説だから、津波の原因を設定する
必要は無いけど、嫦娥から月を連想して、津波は満月の影響かも、と非科学的な妄想^_^;

話は逸れるが、年末の朝日新聞「天声人語」が『月の魔力』をフツーに紹介していたけど、
同書はたしかトンデモ本とされてなかったっけか^_^; と学会の本は見付からなかったけど、
アーノルド・リーバー『月の魔力~バイオタイドと人間の感情』(東京書籍,1984)は書庫
で見付かった。訳者が「藤原正彦・藤原美子」であることも、今やネタになってるよね^_^;

「嫦娥」の冒頭の場面、武太夫が品川の観潮楼の二階座敷から、渚につづく料亭の庭を歩く
千瀬とその父親の姿を初めて見た夜は、まさに「仲秋の満月」で(本書122頁)、

  昇りはじめてしばらくのあいだ、月は眩しいほど黄金色に輝いて、そのくせ、
  地上にとどく光の箭は弱かったが、中天近くまで移動した今は、黄いろ味を失って
  白銀を研ぎ出したように、光彩はむしろ鋭さを増していた。

顔立ちは見えないが、千瀬を武太夫は嫦娥に喩える理由。それは、武太夫が三味線を弾き、
意教が唄う「まんまるござれ」に反応し、千瀬が二階を見上げ、顏を確認した武太夫は、

  「どう見ても嫦娥だよ。光の箭を渡って仲秋のひととき、人間界へ舞いおりて来たんだ」

と口にし(本書132頁)、先の情景描写も生かしながら、月世界からの降臨に喩える武太夫の
「歌文も堪能」なところも描く(^^) その後のストーリー展開は略すが、クライマックスは、
丸一年後の同じ「中秋八月十五日」の夜に、思いがけない再会を果たした後、屋敷に帰った
武太夫が愛用の三味線「置く露」も序遊にあげてしまい、庭へおりて、浄瑠璃本、唄の諸本を
一冊残らず持ち出して火をつけ、「今日かぎり三弦とは縁を切る。」と宣言し(本書145頁)、

  月に向かって立ち昇る細い、ひと筋の煙を目で追いながら、武太夫はつぶやいた。/
  「千瀬さんは、やっぱり嫦娥だった。遠くへ行ってしまったよ」

「月に向かって立ち昇る細い、ひと筋の煙」を雲に見立て、嫦娥が月世界へ昇って行く幻想的
なシーンが武太夫を通して読み手の目にも浮かぶはず(^^) 月岡芳年(大蘇芳年)「月百姿」の
「嫦娥奔月」のイメージが少し近いかな(^^) 決して富岡鉄斎「嫦娥奔月図」じゃないわな^_^;

芸術新潮2002年9月号が「よく習い、能く描き、良く老いた 富岡鉄斎に学ぼう」という特集を
組んでて、同誌61頁に「月の女神・嫦娥はいかにして生まれたか」と題した同誌編集部による
解説文が載ってるが、その題の「嫦娥」に「こうが」とルビを付けるのはどうなのかしら(..)
勿論、同解説文にある通り、元々は、

  ・・・姮娥といったが、漢の文帝の名が恒であるため、漢人たちが「嫦娥」と改めた。

わけだけど、今や辞書や百科事典など、どれも「じょうが」で載ってるんだからね^_^;

「嫦娥」を読み終えると、前に読んだ『月百姿』をじっくり眺めたくなってきた(^^)

  http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-04-25-1

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