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永井路子「後鳥羽院と藤原定家」

中国文学者が中国史の本を、独文学者が世界史の本を
よく執筆してるけど、国文と国史の関係はどうなのかしら(..)
そんな前置きとはあんま関係ないんだけど( ← ないのかよ!)、
永井路子『頼朝の世界』(中公文庫,1982)は思わずハッとさせられる指摘が多く、
面白いから何回も読んでるし、付箋もメチャ貼られてソレに書き込みもしたくらいだが、
百人一首の注釈書を3冊(5冊?)読んだこともあり、表題の一篇を改めて読み直した(^^)

藤原定家に関する知識は増えたはずなのに、新たに付箋を貼った箇所は増えたし、
各注釈書からは得られなかった事実や鋭い解釈が結構あり、改めて良い本と実感(^^)
さすが永井路子と言うべきか、百人一首と百人秀歌の問題も取り上げられてたよ(@_@)
ただ、初出(雑誌掲載)が1973年12月ゆえ、その限界は免れないんだけどね^_^;
永井が描き出した定家の出世欲や猟官運動、後鳥羽との関係は興味深いし、また、

  一流の文化人なら政治をやらせても一流だと思いこむ錯覚は、現代でも横行しているが、
  それがとんでもない誤解だということを、承久の乱はよく物語っている。

なんて小気味好いね(本書241頁)(^^) それに次の件(本書228頁)も興味深かった(^^)

  ・・・この文句[紅旗征戎吾ガ事ニアラズ]は『明月記』の一一八〇年(治承四)九月の条に
  あるので有名だが、歴史学者、辻彦三郎氏の研究によれば、この治承四、五年分の日記は、
  定家が晩年になって修正補筆した可能性が濃いのだという。その前提のもとに、辻氏は
  さらに興味ある所論を展開している。そうなると「紅旗征戎・・・・・・」の語句は、
  むしろ一二二一年(承久三)五月に、定家が『後撰和歌集』の奥書に書きつけたほうが早い
  のではないか、というのである。/細かいことは専門の分野にわたるので省略するが、
  たしかに承久三年五月といえば都中が承久の乱前後の慌しい雰囲気に包まれている折で
  あり、定家自身の感懐に最もふさわしい、という辻氏の論証には、説得力がある。そして、
  治承四、五年記を修正補筆するにあたり、当時の世相を、/「世上乱逆追討、
  耳ニ満ツト雖モ、コレヲ注セズ」/と書き、それに続けて、再度「紅旗征戎・・・・・・」
  と書きつけたのではないか、と辻氏は言われるのだが、歴史的体験と記憶が彼の心情に
  及ぼした過程を解きあかすものとして、これは大変興味ある論証である。

辻の『藤原定家明月記の研究』(吉川弘文館,1977年1月 ← 流石だね!)のことだろうけど、
百目鬼恭三郎『読書人読むべし』(新潮社,1984)31頁が同書を次のように紹介してた(^^)

  ・・・『明月記』の文献学的な研究で、まことに取りつきにくいようにみえるけれど、
  この歴史家の緻密な考証の手順は、なまなかの推理小説よりずっと面白い。たとえば、
  定家の「藤川百首」の成立年代を推定した手順を紹介すると、まず、・・・

と百目鬼による辻の考証手順の要約紹介からも、その「緻密」さと「面白」さが
充分に伝わってきて、小生も読んでみたいんだけど、まだ御縁がないんだよね(;_;)

前に引用した芸術新潮2009年11月号の特集「京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ」も
メチャ面白いんだけど、「歌聖が見つめた60年~異端の公家日記『明月記』を読む」として、
五味文彦が「解説」してて、編集部(たぶん)から次の質問がなされてた(同誌42頁)。

  ・・・ところで先程の治承4年9月条ですが、「紅旗征戎」というのは、源平の争乱を
  さしているわけですね?

これを五味は次のように肯定してるんだよね。

  この年の5月に以仁王と源頼政が蜂起し、8月には源頼朝、9月には木曾義仲が挙兵します。
  後白河院を幽閉したり、福原への遷都を強行したりする平氏政権に対して批判的な気持ち
  がある一方、敬愛する高倉天皇は平家色の強い帝ですし、平維盛のような身近な人物
  (定家の姉・後白河院京極の娘婿)が追討軍を指揮する現実もある。そんな騒然とした
  中で、自分は反乱側とも追討側とも違うぞ、求めているものが違うぞという意識が
  「吾が事に非ず」という表現になったのでしょう。

定家や明月記が主題の著作もある五味だけど、辻の先行研究をどう評価してるのかしら(..)
それらを読めばすぐに判明することかもしらんけど、読もうという気には正直ならんな^_^;

彼の『中世のことばと絵~絵巻は訴える』(中公新書,1990)は読み付箋も貼ってはいる^_^;

・五味文彦『日本の中世を歩く~遺跡を訪ね、史料を読む』(岩波新書,2009)も読了(+_+)

そして、2008年から2010年にかけて次の数冊を読んで、小生の中では底値になった(-_-)

・五味文彦&本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡』(吉川弘文館)

人物に関しての注に本文の記述を鸚鵡返しに写しただけのものが目立つんだよね(@_@)
谷沢永一が久松潜一を痛烈に批判したコラム「学会ボスの支配様式」で、

  世に〝久松の特急列車〟と呼ばれ、久松にひたすらインギンを通じた者ほど、
  結構な地位が配給されるという仕組み。久松が監修した『日本古典文学大系』
  (岩波書店)に、古典を読解できない無学のエセ学者が数多く登用され、
  『広辞苑』をそのまま引き写したごとき無意味な注をつけた巻が見出されることなど、・・・

とメチャ酷評していたのが(同『紙つぶて(全)』[文春文庫,1986]275頁)、
むしろ良心的に思えてくるほど無内容な注が頻出してたので、全巻通読は止めた(-_-)
注をつけたのは五味じゃないんだろうけど(各巻とも数人の訳者の名が奥付に載ってた)、
あんな代物でも訳者(若手研究者?)たちにとっては〈立派な業績〉になるんだろうね(+_+)

『日本古典文学大系』に名を連ねていた研究者たちに対する谷沢の仮借容赦なき批判は
よく知られてるけど、『今昔物語集』を担当した山田孝雄一家への評価は変遷してる(@_@)
山田孝雄一家のことを谷沢の読書コラム集『閻魔さんの休日』(文藝春秋,1983)に収録の
「文学読解に権威も定本もない」という一篇では、次のように評価していた(同書65頁)。

  巷間に流布する伝説によれば、『体系』の担当某氏は或るとき酒の勢いを借りて、
  現下の国文学者で古典の注釈を真に為し得る者、大目に見て五人か六人に過ぎず、
  他はすべて失格者なりと洩らしたという。『今昔物語集』を受け持った
  山田孝雄一家四人を便宜上一人と数えれば、ほぼ妥当な観察と同感し得る。
  それ程『体系』には本質的に失格である売名の徒が、餌の分け前に与かるべく
  群がったのである。

この後は〝久松の特急列車〟に続けて、ここに書き写すには勇気がいる内容なので略^_^;

が、『紙つぶて 自作自注最終版』(文藝春秋,2005)所収の「学者の晩節」という一篇への
自注では(同書151頁)、岩本裕『日本仏教語辞典』(1988年)の「はしがき」に依拠して、
『体系』の内容見本の印刷例に引用されたサンスクリットに相当の誤りがあったので、
岩本が朱を入れて岩波に送ったのに出版された『今昔物語集』はそれを全面的に無視し、
注の出典の検討も不充分だったという一件を紹介。その十箇所以上の厳しい指摘は尤もとし、

  しかし山田孝雄一家の如き権威主義者に、いくら言うて聞かせても無駄であろう。

と斬り捨てる^_^; 一方で同書479頁は山田の学位請求の経緯を好意的に描いてるけど^_^;

以上の谷沢永一と岩本裕と日本古典文学大系『今昔物語集』に関する一件は、
「東ゆみこのウェブサイト」の「わたしの道具箱 岩本裕『日本佛教語辞典』」が、
それぞれの本の当該箇所も丁寧に紹介・解説し、しかも余情のある素晴らしい内容(;_;)
この想に随うまま綴ってしまった小文の口直しにおススメ^_^;

http://mythology.tea-nifty.com/higashiyumiko/2011/05/post-6a8a.html

[追記151202]

冒頭の前置きを「あんま関係ない」とか書いちゃったけど、この記事は、
〈専門外のことに首を突っ込むということ〉を一貫したテーマとして書いたのを忘れてた(^_^;)
その能力不足で自らの専門なのに〈専門外〉にしか見えないケースも広く含めてだけど^_^;
あと、辻の本の発行年の「1月」は削除し忘れただけで、そこには深い意味はないですm(__)m
以上、自作自注による訂正でしたm(__)m
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